創始者紹介(Dr.Paulsen)

創始者紹介(Dr.Paulsen)

フレデリック・ポールセン博士
(Dr. Frederik Paulsen)


若き日のフレデリック・ポールセン博士

フェリング社創業者である科学者フレデリック・ポールセン博士は、1909年にドイツで生まれ、キール大学(ドイツ)に医学を専攻しました。当時、医師はヨーロッパのどの国でも従事することができる専門職でした。

1935年、彼は26歳の誕生日にスウェーデンに移住し、ホルモンに関する研究を開始します。ポールセン博士の研究成果は、スウェーデン人の同僚の間で徐々に認められるようになり、やがてランド大学の常勤講師となりました。


フェリング社のはじまり

1940年代、ポールセン博士は、その当時、多くの研究者が取り組んでいたホルモンの一般的研究から退き、ペプチドホルモンに特化した研究をスタートさせました。

1948年、アメリカ人の2人の研究者が、下垂体前葉から放出される副腎皮質刺激ホルモン(ACTH)が喘息と関節痛に劇的な治療効果を示すことを発見し、ペプチドホルモンの真の商業的価値が見出されました。

ストックホルムの生化学研究所で研究を行っていたポールセン博士とその研究助手のエバ・フランドセンは、ACTHの製造化に成功しました。

ポールセン博士は、自らのACTH製造に関する知識を多数の大手製薬会社に提供していましたが、1950年に自ら会社を興すことを決意しました。こうして設立した「Nordic Hormone Laboratory」は、後に「Ferring(フェリング)社」と名称を変え、製薬企業としてのスタートを切ることになります。


フェリング社への情熱

ポールセン博士は、60歳になるとフェリング社の事業から退き、その運営を末息子のフレデリックに譲っていきます。ポールセン博士と夫人であり研究者でもあったエバは、一族の故郷であるFöhr島に隠居し、そこから新しい分野への研究を続けるフェリング社を見守ると共に、Föhr島の歴史と文化の保存に力を注ぎました。 博士が愛したFöhr島に古くから住む人々は、ゲルマン系言語であるフリージア語で'Ferrings'と呼ばれており、フェリング社の社名はこの言葉に由来しています。

ポールセン博士は晩年、若い研究者たちにこうアドバイスしています。
『本当の成功はSerendipity(思いがけない発見をする才能)と、科学者の仲間を惹きつける科学的業績だ。経済的な成功を考えず、研究を行うべきである。経済的な成功を得るために行った研究は、驚くほど実を結ばないものである。』

フェリング社、そしてそこで働く研究者の育成に力を注いだポールセン博士は、1997年に88歳で息を引き取りました。